家の中で座ったままで、知りたいことを知ることができる・・・それどころか、知りたいと思っていなくても、どんどん知識が流れてくるのが、今の社会。
「知ってる」
「あたりまえ」
子どもたちも、よく口にします。
葉っぱの上の朝露を
夏の日の雷を
海の波を
へびが皮を脱ぐことを
カタツムリがあとを残すことを
ゼンマイの広がりを
コケが水を含むことを
てんとう虫が飛び立つ様子を
知っている?
立ち止まって目を向ける。そこで長く繰り返され、創造されてきた「あたりまえ」は、とても美しく、その精巧さに驚くはずです。
センスのよい大判の本の表紙をひらくと、朝露の残る葉っぱの上のてんとう虫の絵と、W.H.デイヴィスというイギリスの詩人の「間暇」(原題は”Leisure”)という詩。
次のページは、日々の自然のできごとー自然が日々紡ぐものがたりーのタイトルが50並んだ目次です。
それは、上に書いた他にも、「ハチが花粉を届ける」「コウモリは夜に狩りをする」「月は満ちて、欠けて」「オタマジャクシがカエルになる」「木の葉が秋色に染まって、落ちる」「スイレンが池に花を浮かべる」「サケが川をさかのぼる」など、そのほとんどが、多くの人が知っていることばかり。
でも、本当に?
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レイチェル・カーソンの著書「センス・オブ・ワンダー」の中で、子どもが生まれ持つセンス・オブ・ワンダーー神秘さや不思議さに目を見はる感性ーを保ち続けることの意義について、繰り返し語られます。
そして、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではなく、子どもには、その感動を分かち合ってくれるおとながそばにいることが必要だと。
美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。
消化する能力がまだそなわっていない子どもたちに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。
ーレイチェル・カーソン 著 新潮社 「センス・オブ・ワンダー」より
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親子で1日1話ずつ。あたりまえの向こうの、不思議に満ちた物語に、心を向けるきっかけをくれます。
そして物語をたのしんだら、さあ、外の世界をながめに行きましょう。
子どもと一緒に空を見上げる、草むらをのぞく、鳥の声に耳を傾ける、風の匂いを嗅ぐ。都会の街路樹にも、ベランダのプランターにも、物語はきっとあります。「ほら、みて!」と言い合う、一緒に「なんだろうね」と興味を持つ・・・そんな誰にでもできることが、子どもたちのセンス・オブ・ワンダーを育む一歩です。
大切にしたくなる、大きくてきれいな装丁です。続編も出版されています。
海洋学者レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」は、彼女の最後の著書です。子どもたちに自然の美しさを感じられる人に育ってほしい、好奇心を持ち続けてほしい、と思う親にとって、どんな育児書よりも頼りになる1冊です。
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